5月も中旬に差し掛かり、北海道もようやく陽気な風を感じられる季節になった。
プルルル・・・プルルル・・・、のどかな雰囲気を堪能する間もなく今日も私の携帯に一本の着信が鳴った。
声を聞いた限り電話をかけてきたのは50代半ばの女性からだった。
ここではAさんとしておこう。
少し聞きたいことがあるのですが宜しいでしょうか?
虹の架け橋さんで清掃をしていると聞いて電話をさせていただいたのですが・・・。
できるだけ落ち着いて話そうという雰囲気をAさんから感じた。
と同時に危機感のようなものも感じ取れる。
私もこの世界の電話は幾度となく対応をしてきている。
言葉の一文、声のトーン、ファーストインプレッションで大体の予想はついた。
清掃業務も行っていますが、どのような内容でしょうか?ともう少し詳細な部分を私は尋ねた。
時間にして5秒ほどか。いや10秒ほどはあっただろうか。
するとAさんは電話越しからでもわかるくらい言いづらそうな雰囲気で話し始めた。
実は・・・、自分の弟が数週間前に部屋で亡くなっていたんです・・・。
私も最初は部屋へ入ろうとしたのですが、そういうのは苦手で入れなかったんです。
とてもじゃないけど異臭のする部屋の片付けや清掃を自分でやる勇気と気力はなく、誰に・何をどうやって頼んでいいのかもわからず頭の中はパンク寸前でした。
一通り葬儀が終わり、自分の様子を見ていた葬儀場のスタッフさんが心配されたのか「何かお困りごとでもありましたか?」と声を掛けてきて下さり、事情をご説明すると支配人さんから御社名のお話をされ電話した次第なんです。
Aさんのお話しを聞き言葉の節々で感じたのは、おそらく女性ながらに第一線で働かれている人なのだと私は感じた。
どうなんでしょうか。すごく頼みにくいことなんですが、そういったお部屋のクリーニングとかもお願いできるものなんでしょうか?
もうどうしたらいいのかもわからなくて、藁にもすがる思いなんです。
私は「大丈夫ですよ」「勿論対応していますし、何にも心配いりませんよ」と答えた。
まずは少しでも休めるようにAさんは考えて下さい。
これからまだまだ手続きなどでやることは沢山出てくると思います。
その時に疲労困憊では適切な判断が出来なくなります。
ですので、弟さんのお部屋のことは私に任せて下さい。
そう伝え見積もりへ伺う日にちと時間を決め電話は終了した。

ある程度予想される道具や薬剤などを準備し現場となる待ち合わせ場所へ向かった。
私は約束の時間より15分くらい前に到着したが、そこには既にAさんらしき女性が駐車場の外で待っていた。
挨拶も早々にAさんは
こんなお願いで本当にすいません。どうか宜しくお願い致します。
頼れるのは虹の架け橋さんしかいないんです。と言いながら頭を深々と下げられた。
現場となる建物は青色と紺色の2色で彩られている二階建てのアパートだった。
パッと見、築30年ほどは経っているであろう。
部屋は全部で8部屋。
屋内共用部はなく全室道路向きになっており外との隔たりは玄関ドア一枚である。
弟さんの号室は203号室だ。
折り返し階段を上り部屋の前へ立つと既に腐敗臭がする。
そして窓には無数のハエが蠢(うごめ)いている。
誰が見ても一目で異常だとわかる。
まさにドアの向こうは非日常だ。

合掌を済ませ、専用マスクとシューズカバーを着用し玄関ドアは私が通れる最小限のスペース分だけ開き速やかに入室した。
その間、Aさんは不安げな表情をされたまま外で待機されている。

入室すると耳元にはブーン、ブーンと羽ばたく音が鳴り響いている。
床全面にハエの死骸が散乱しており踏まずに歩く事はできない。
ハエ

間取りは1DK。
よくある単身向けの部屋だ。
入ってすぐに弟さんの亡くなった場所がわかった。
床にくっきりと人の形をした黒い跡が残っており、頭部の辺りには髪の毛もそのまま残っている。
周囲にはウジ虫も湧いている。
私はそんなことも気にせず淡々と確認事項を要所々々で手帳へ書き記していく。

見積もりはその場で出すのが原則だ。
退室して5分後、見積書と作業内容をAさんに伝えた。
料金、内容、全てに同意ができればAさんと契約を結ぶ形となる。
契約はその場で成立した。

契約後、安堵からなのかAさんはこんなことをつぶやきはじめた。
この度は本当にありがとう御座いました。
今回の一件があってから何一つ良いことがなかった。
お部屋がこんなことになってしまい弁償はしないといけないし、弟と仲良くしてもらっていた隣人さんにはあからさまな態度を取られ、大家さんにも怒られ、挙句の果てには主人もそんな状況に嫌気が差してきたのか、段々と不機嫌になってしまう始末。
自分だって感情の整理がついてないのに、沢山の人に何を言われても謝らないといけない。
本当に何一つ良いことがなかった。
ですが、そんな中で1つだけ良いことがありました。
このボールペンです。
このボールペンに救われた気がします。
Aさんは涙を流しながら笑顔でそう言ってくれた。
私の会社では契約時に書類へ署名していただく際、社名入りのボールペンを渡している。
色は全部で7色あり、気に入った色を選んでいただき差し上げている。
Aさんは2色で迷われていたが、最終的にはオーソドックスな黒を手に取った。

作業は翌日より開始した。
防護服、コーグル、防毒マスク、厚手の手袋、シューズカバー、1つ1つ着用しながら頭の中で何度も作業のシュミレーションを繰り返す。
入室して真っ先にやることは各部屋のカーテンを全て閉めることからだ。
これは周囲への配慮と亡くなられた弟さんへの配慮だ。
次は無数に飛び回っているハエ軍団の退治だ。
窓を決して開けてはならない。
何故なら、遺体を餌にしていたハエが逃げてしまうからだ。
万が一、弟さんが感染症を持っていた場合、部屋の中で飛び回っていたハエ一匹一匹が菌をバラまいてしまうからだ。
更にニオイも周囲へ拡散してしまう。

それが終れば本格的な作業スタートとなる。
まずは部屋全体の除菌作業から始める。
飛び回っていたハエが至る所で糞をしているからだ。
次にご遺体があった場所の清掃作業へ取り掛かる。
血液と体液が入り混じり全体が焦げ茶色になっている。
ヘラと薬剤を使いながら削り取っていき、ウジ虫も同時に除去をしていく。
やっていることは地道な作業だ。
だが、真夏ともなれば防護服を着ての作業は2~3時間が限界である。

私は現場で作業をしていると、ふとたまに不思議な感覚になることがある。
それは外から漏れ聞こえる人の声だ。
「最初はグー!じゃんけんポン!〇〇が鬼~!」
隣の敷地には公園があり、子供たちが楽しそうに遊んでいる声が聞こえてくる。
私が立っているこの場所は非日常。
玄関ドアを見ると、この扉の外は日常の世界なんだと。
一枚のドアを隔てて内と外で全く別の二つの世界がある。
なんとも不思議な感覚を覚えさせてくれる。
私は経験したこともないし想像にしか過ぎないが、刑務所の面会所もガラス一枚を挟んで二つの世界があり類似した感覚になるであろうと勝手に思っている。

孤独死の現場に長時間没頭してしまうと、現実世界に戻れないような感覚に時々陥ることがある。
例えば「歩く」という当たり前の行動、いや、むしろ無意識に行う行為一つをとって見ても地に足が付いてないという表現がまさに当てはまるだろう。
普段の何気ないことでも、まるで宙に浮いているような状態になる。
私はお風呂に入ると戻る傾向にある。
だから私は現場が遠方の場合は帰りの道中に必ず温泉へ立ち寄ることにしている。

私は運よく霊感もなければ精神的な影響もない性質(タチ)だ。
人と比べると、この仕事に向いている方であるという感覚的なものもある。
そんな私でも、この仕事において一番重要なのは心のマインドコントロールだと考えている。
作業中は「無」に近い状態で黙々と作業をしている。
それでも作業後の宙に浮いたような感覚だけは毎回ある。

滴る汗がゴーグルに溜まりながらも作業は無事に終わった。

後日ご精算のためAさんの元へ足を運んだ。
指定場所は勤務先の駐車場だった。
時間はお昼休憩の正午。
まずは精算を早々に済ませ、その後20分ほど話をした。

今回、色々なことがあり本当に大変で辛かった。
誰にも頼ることが出来ず、相談も出来なかった。
本当に絶望的な状況でした。
二度と同じ思いはしたくないと思いました。

心の底から「辛かった」ということが痛いほどに伝わってきた。

作業時とは真逆で引き渡し後の会話は思う存分に依頼者様へ「感情移入」を私はする。
一方でどこか冷静な私もいて、見積時の会話を鮮明に思い出していた。
会話は全部覚えている。
一言一句間違えずに復唱できるであろう。
そのくらいの自信があった。

私はAさんの「一つだけ良いことがありました。このボールペンです」と言った一言がずっと頭から離れなかった。

Aさんの色々な思いを聞いているうちに、職場へ戻る時間もそろそろ迫ってきていた。

今回、Aさんは本当に大変な思いをされたと思っております。
同じ境遇者がいないということ。
相談者がいないということ。
想像に難くありません。
時間もそろそろだとは思いますが、一つだけ宜しいでしょうか。
私ができることは作業を誠心誠意実施させていただくこと。
それとこのボールペン。
見積時におっしゃっていただいた「一つだけ良いことがあった」ということを「二つに」に変えることくらいです。
色を選ばれた時にワインレッドと黒で迷われ、最終的に黒を選ばれましたよね。
私はもう一つのワインレッドをそっと差し上げた。

見積りの時に言った言葉を覚えていてくれたなんて・・・。
Aさんの両頬にはポロポロと流れる涙が滴り落ちていた。
もう言葉は何もない。
私はそっとハンカチを渡し、何かあればいつでも相談して下さい。
と伝えた。
深くお辞儀をして背を向け歩いていくAさん。
姿が見えなくなるまで見送る私。
Aさんの背中が少し寂しくも見えた。
それは数日間が数年にも感じるほど大変な時間を過ごしたこと。
そして当たり前にいた「弟」の存在に区切り(別れ)をつけた(した)瞬間だったのであろう。
私は勝手にそう捉えている。


プルルル・・・プルルル・・・、今日も携帯が鳴っている。


そう。
私たちの仕事は二つの世界を行き来することだ。