ドップン・・・、ドップン・・・。
これで何本目だろうか。
鼻を劈(つんざ)くほどの物凄い異臭だ。
部屋中が「その」臭いで充満している。
目もほとんど開けることができない。
長期戦は無理だ。
短期戦で一気にケリをつけるしかない・・・。



見積もりへ伺ったのは一週間ほど前の話だ。
依頼内容は
孤独死をしてしまった父(部屋)の片付けを頼みたい。
長年に渡り荒れ果てた生活をしていたと思うのでゴミ屋敷化しているはず。
そう電話口から話してくれたのは娘さんだ。

場所は大きな国道に面した2建てのアパート。
駐車場は広く、雪国特有である除雪スペースの心配はない。

1台の車が入居者専用駐車場ではなく入り口付近に停まっていた。
エンジンがかかっており、窓ガラスはスモークになっている。
そこから一人の女性が降りてきた。
軽く会釈をしてこちらへ歩いてくる。
そう、娘さんだ。
「今日はご足労を掛けてしまい、すいません・・・」
「何卒、宜しくお願いします」
丁寧な口調に反して表情はそう言っていなかった。
私の勝手な推測にしか過ぎないが、おそらくは故人様と疎遠だったのだろう。
そして長年疎遠だった父が孤独死をしてしまい、突然のこととはいえ、それらに要する費用と時間を自分が負担しなければいけない。
何ともやりきれない感情や周囲への気遣い、色々な心境が入り混じり葛藤しながら立ち振る舞うということは想像以上に大変だろう。
その他の部分でも頭を下げたり、各所への届け出に時間も要する。
精魂尽き果てるとはまさにこういうことである。

挨拶も早々に鍵を預かり、見積もりのため駐車場から部屋へ向かう。
玄関を開けると待ち構えていたのは新聞紙だ。
雪崩が起きそうなほどの山になっていた。
一瞬焦り、急いで玄関ドアを閉めてしまった。
事前の「気持ちづくり」が足りなかったのだろう。
ゆっくりと玄関ドアを開け、山が崩れないように細心の注意を払いながら足場をつくり部屋へ入った。
部屋の中はというと、高さは優に1mを超えるゴミでいっぱいだ。
かがまないと天井に頭をぶつけてしまう。
紙類、お酒の空ボトル、ビール缶、カップ麺の空容器が無数に転がり、歩くたびに膝上くらいまで足が埋まる。
まるで底なし沼のようだ。
無数のゴミ
そして「赤色の何か」が入った数十本ものペットボトルが無造作に落ちている。
洗濯機は完全に埋もれてしまっている。
炊飯器は埃と汚れで真っ黒くなっている。
とても使える状態ではない。
当然だがお風呂、トイレも入れるような状態ではない。
家電系統は全てコンセントに刺さったままだ。
ブレーカーも上がっている。
よく火事にならなかったものだ。

部屋は1階、角部屋で1DKだ。
故人様の亡くなられた場所がわからない。
湿度が高く紙類や食べ物が腐敗し全体的に黒くなっているからだ。
それでも人の腐敗臭は部屋中に充満している。

まずは入り口付近と部屋の奥から取り掛かる。
こうした現場には特徴がある。
ゴミの山にも層があるということだ。
私たちは全部で3層に分けている。
一番上のステージは比較的軽く、ペットボトルや空き缶、紙類が多い。
作業ペースも比較的早く進めていけるステージだ。

次のステージは衣類や毛布類だ。
このステージが一番労力を使う。
なぜなら、衣類は水分やゴミが付着して重くなっている傾向にある。
水分?と思う方もいるかもしれないが、空き缶や空き瓶などの容器は必ずしも呑みきった物だけではない。
蓋は勿論空いている状態だ。
中途半端に入っている割合は2~3割程度あるだろう。
それに加え、埋まっている洋服・毛布の一部が出てきても引っ張り出すことは難しい。
どちらかと言えば化石のように全体像を出して掘りだすイメージに近いだろう。

山頂を越えて最後のステージは生ごみ系や湿った紙類、やきとりなどの串、ライター、意外に思うかもしれないが小銭も多い。
この小銭にも一苦労する。
小銭の大半は床やゴミに付着してしまっていることが多い。
何百枚、何千枚あろうが一つ一つ手で取っては集めての繰り返し作業を行うしかない。

今日はこの3層構造の山を片付けるのに丸1日を要した。
床は全面真っ黒だ。
砂なのか、ご遺体の一部なのか、ゴミの腐敗物なのかはわかる余地がない。

そして「赤色の何かが」入ったペットボトルの処理へ取り掛かる。
ここが最終局面だ。
ある程度の現場数を経験した者であれば、開けるまでもなく中身は「人尿」だとすぐにわかる。
尿は酸化し、いずれ赤色へ変わる特徴を持っているからだ。
学生の折、理科や科学の授業で酸性、アルカリ性、中性を必死に学んでいた頃を思い出す。
勉学が苦手な私には比較的受け入れやすい科目だった。

ペットボトルの蓋を開けた瞬間に異様なまでの異臭が一気に部屋中へ蔓延した。
とてつもなく強力な臭いだ。
持病からなのか、放置されていた部屋の環境が影響しているのかは不明だが、今までで断トツに臭気レベルが高い。
あまりの強さに一瞬目の前が真っ白になった。
脳が一時的に停止したのであろう。
防毒マスクを着用しても何の気休めにもならない。
ありがたいことにペットボトルは4リットル容器に満杯だ。

ペットボトルの中身を捨てる時にはちょっとしたコツがある。
頭を下にして重力で流しても時間がかかり、空気が入った分だけ勢い良く押し出され液体が跳ねてしまう。
だから私は頭を下にして円を描くようにペットボトルを回している。
そうすると中身が回転し、中心部に空洞が出来き外側に沿って液体が流れる。
スピードもその方が早く、飛び散りも少ない。
残り半分くらいになった時点で、後は横に寝かせて置くだけで8割は勝手に流れてくれる。
その間に次の1本へ取り掛かれる。

何とか踏ん張り1本を空にするも、床にはまだ数十本も転がっている。

人間の感覚ほど信用できないものはない。
好きな人と一緒にいる時間、趣味をしている時間は1時間が5分に感じ、苦難な時には5分が1時間に感じる。
不思議なものだ。

2本、3本と開けていくうちに目が痛くなってきた。
少し悪さを覚えた年頃、髪を染めるのにブリーチを使用した時のあの感覚に似ている。
それでもやるしかない。
こうした類(たぐい)の作業は一気に完工する方が楽だ。
10の苦しさで短時間の間に終わらせるか、7の苦しさで長々と勝負するか。
どちらにしても苦しいのならば私は前者派だ。

涙目になりながらも次々とペットボトルを空にしていく。
終わった後に少し休憩のため外へ退避する。
その時、自分の作業着にも臭いが付着していることを実感する。
臭いが強い場所だと分かりにくいが、外ではハッキリと分かる。



現場は娘さんへ「ここまでしてもらえれば十分です」ということで無事に引き渡しを終えた。
私たちは特掃(特殊清掃)業者ではあるが、人よりも少しだけ現場慣れをしているということ以外は他の人と何ら変わりない。
五感も通常だ。
いや、逆に仕事上少し敏感かもしれない。
明日は汚物現場と向き合う時間だ。

頼ってきてくれる人がいる限り、私はこの仕事を使命と思い続けていきたい。
決して人よりも優れる必要はない。
自分には何ができるのか?を模索する方が大切だと思っている。
そうして辿り着いたものには「価値」が生まれる。
人から感謝をされなくても感謝する事を忘れてはいけない。
そうした想いで明日の汚物とも向き合おう。